はじめに
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サイト概要
主催者:沖縄県立博物館・美術館 博物館班
琉球使節の江戸立ちルート ~琉球から謝恩使一行2,000キロの旅~
琉球使節の「江戸立ち」の旅は、琉球を出てから、薩摩を経て江戸へ行き、諸行事を終えて薩摩・琉球と帰ってくるまでに約1年に及ぶ旅でした。その距離は、片道約2000kmを越える、船と徒歩の旅でした。
琉球使節は、長い道程の中で、各地の人々と出会い、筆をとり、芸能を披露するなど交流を通して、自らの見聞を広めました。また使節を迎える側でも、きらびやかな衣装を身にまとい、路地楽を奏でながら進んでくる一行は歓迎され、大きな評判を呼びました。琉球使節の足取りを追いながらその痕跡を確認しましょう。
江戸立ちとは?
琉球から将軍へのあいさつのために江戸へ行くことを琉球使節の江戸参府といいこれを「江戸立ち」と呼びます。
琉球は1609年に薩摩侵攻を受け、敗れた尚寧王は薩摩藩主島津家久に薩摩に連行され、家久に伴われて駿府と江戸に向かい、徳川家康と2代目将軍秀忠に謁見することになります。以後、江戸の将軍や琉球国王が代替わりしたときに「江戸立ち」が行われました。将軍が新しく代わったときの使者を慶賀使、琉球国王が新しく代わったときの江戸への使者を謝恩使といいました。1634年から1850年まで実に18回の「江戸立ち」が行われました。琉球使節(1832年)の謝恩使のルート図が見れ、琉球(沖縄)から江戸(東京)までの道のりが分かります
当時の地図で琉球使節が立ち寄った場所や、ゆかりの地、現在の場所などが分かります ※過去地図は一部のポイントのみ対応
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マップについて
本ラボサイトでは、下記地図の全部または一部を使用しています。
沖縄エリア
1770年頃 王朝中期/琉球国之図+琉球国惣絵図(間切集成図) 合成版
※琉球国之図(薩摩藩調製琉球図) 沖縄県立図書館所蔵
※琉球国惣絵図(間切集成図) 沖縄県立博物館・美術館所蔵鹿児島エリア
19世紀中期/天保年間鹿児島城下絵図
※/鹿児島市立美術館所蔵広島エリア
1700年頃/元禄絵図
※福山市鞆の浦歴史民俗資料館所蔵大阪エリア
1837年頃/攝州大阪全圖 天保新改
※国際日本文化研究センター所蔵静岡エリア
1806年頃/東海道分間延図絵
※東京国立博物館所蔵東京エリア
1860年頃/江戸図 萬延
※国際日本文化研究センター所蔵ルート図
1832年/琉球使節の謝恩使のルート図
※沖縄県立博物館・美術館所蔵現代地図
※国土地理院、オープンストリートマップ(OSM)
※本ラボ・サイトでは、上記地図の全部または一部を使用しています。
参考文献
『沖縄県史ビジュアル版 琉球使節の江戸参府』沖縄県教育委員会
『琉球使節、江戸へ行く!琉球慶賀使・謝恩使一行二〇〇〇キロの旅絵巻』沖縄県立博物館・美術館
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