はじめに
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このラボサイトの主旨
伊能忠敬が、1800年(寛政12年)から1816年(文化13年)まで17年をかけて日本全国を測量した『大日本沿海輿地全図』を下敷きに箱根八里をたどります。日本国土の輪郭を明らかにした大偉人が内陸に向かった測量部分です。現在のように道路が整備される以前の測量行脚は私たちの想像を絶するところです。ましてや天下の剣といわれた箱根八里。なお、小田原宿周辺エリアは小田原城絵図「文久図」で補います。
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Webサイト概要
主宰者:株式会社ポスト広告/株式会社バリューリソース・デザイン
伊能図で行く箱根八里
日本遺産「箱根八里」ルートでの小田原宿から箱根関所まで中心にしたコースガイドです。史跡や文化財に触れ、江戸地図などの様々な過去地図で小田原の歴史も知ることができます。伊能図で行く箱根八里
https://www.tsunagaru-map.com/hakone-hachiri-odawara/
トップページ画像について
天保国絵図(相模国)1838年 ※国立公文書館デジタルアーカイブより
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マップについて
Webサイトでは、下記地図の全部または一部を使用しています。
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江戸前期 1644年頃
相模国小田原城絵図
※国立公文書館所蔵 -
江戸後期 1810年頃
大日本沿海輿地全図 第99図(著者:伊能忠敬)
※国立国会図書館所蔵 -
江戸末期 1860年頃
小田原城絵図「文久図」
※小田原城天守閣所蔵 -
明治中期 1882年頃
迅速測図
※出典: 農研機構(http://www.finds.jp) -
大正初期 1916年頃(大正5年)
国土地理院 旧版地図(小田原・國府津・秦野・山北・關本・箱根)
※国土地理院所蔵 -
昭和中期 1954年頃(昭和29年)
国土地理院 旧版地図(小田原南部・國府津・秦野・山北・關本・箱根)
※国土地理院所蔵 -
昭和後期 1984年頃(昭和59年)
国土地理院 旧版地図(小田原南部・北部・秦野・山北・關本・箱根)
※国土地理院所蔵 -
現代地図
国土地理院、オープンストリートマップ(OSM)
※国土地理院 旧版地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分1地形図を複製したものである。(承認番号 平30情複、 第680号)
箱根八里について
- 慶長6年(1601)、徳川家康が東海道の要地に宿駅を設置し、交通制度を整備したことから、東海道は東西を結ぶ交通の大動脈として発展することになります。以後、各地に宿場が続々を誕生し、寛永1年(1624)になると、江戸~京都間に53の宿場が誕生しました。これがいわゆる「東海道五十三次」です。
中でも、小田原宿~三島宿間(約32km)は、途中、東海道きっての難所である箱根山を擁することから『箱根八里』と呼ばれています。
箱根山を越える坂道は、箱根峠から西側を「西坂」、峠から東側を「東坂」といい、どちらも急坂の連続でした。雨が降ると膝まで没するほどの悪路となったため、当初は群生していた箱根竹を敷き詰めましたが、耐久性の問題から、後に西坂および東坂とも石畳による舗装が施されました。この一部が現在でも残っており、国指定史跡になっています。
なお、急坂の多くには「女転し坂」、「猿滑坂」など往時の苦難を偲ぶ名称がいくつも付けられています。とりわけ東坂にある橿木坂(かしのきざか)は特に厳しかったようで、東海道名所日記によると「けわしきこと 道中一番の難所なり」と紹介され「橿の木の坂をこゆればくるしくて、どんぐりほどの涙こぼる」と記されるほどでした。
まさに苦難の連続。一歩間違うと命の危険にさらされる状況であったようです。そんな難所もいまでは麓から峠までハイキングコースが整備されています。
参勤交代の大名や朝鮮通信使、琉球使節団やオランダ商館長など、名だたる旅人たちも往来した『箱根八里』には、歴史や地勢、文化的背景など、まちづくりの基礎となった旅の記憶がしっかりと刻まれています。
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