はじめに
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Webサイト閲覧上の留意点
画面操作について
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ポイントアイコンついて
地図上のポイントアイコンは、そのコンテンツ内容によって区別されています。
歴史的背景を持つ地点もしくは過去に起こった事柄、遺跡など現在についての記述や比較的新しい出来事など未来の出来事の記述や未来に完成する施設など地点が広範なものや道路・鉄道など距離のあるもの、また曖昧な地点地図の選択について
ポイントしている地図は、ポイント地点の出来事の時期やその由来になるべく近い時代地図を選択しています。また、古い地図の描かれた範囲外がポイント地点の場合は、現代地図やその他の時代地図を選択している場合があります。
Webサイト概要
主宰者:株式会社バリューリソース・デザイン/株式会社ユニバーサルデザイン総合研究所
小田原・暮らしのアルバム
小田原の暮らしの様子、街並み、店舗の変化などを大正や昭和の時代の写真を中心に紹介しています。写真は小田原デジタルアーカイブ、小田原市立図書館、また桜木商店各位からご提供いただき、また水彩画は小田原出身の故人、小暮次郎氏のものを転載しております。また、未来の小田原の表情をつくっていく計画などもご紹介します。TSUNAGARU-MAP
小田原・暮らしのアルバム
https://www.tsunagaru-map.com/odawara-album-archive/
⇒ 小田原デジタルアーカイブ
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/encycl/
トップページ画像について
提供:小田原デジタルアーカイブ
写真タイトルは「乗合自動車を囲んでの記念写真」です。昭和20年に撮影されたとあり、その場所は不明です。ポイントコンテンツの著作権等について
Webサイト内のテキストや画像等は、それぞれのコンテンツに注釈の無い限り、著作権等は主宰者にあります。
主宰者へのメール
Webシステムの運用を行う、株式会社バリューリソース・デザインが一旦受け取り、主宰者へ転送されます。
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マップについて
Webサイトでは、下記地図の全部または一部を使用しています。
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江戸前期 1644年頃
相模国小田原城絵図
※国立公文書館所蔵 -
江戸後期 1810年頃
大日本沿海輿地全図 第99図(著者:伊能忠敬)
※国立国会図書館所蔵 -
江戸末期 1860年頃
小田原城絵図「文久図」
※小田原城天守閣所蔵 -
明治中期 1882年頃
迅速測図
※出典: 農研機構(http://www.finds.jp) -
大正初期 1916年頃(大正5年)
国土地理院 旧版地図(小田原・國府津・秦野・山北・關本・箱根)
※国土地理院所蔵 -
昭和中期 1954年頃(昭和29年)
国土地理院 旧版地図(小田原南部・國府津・秦野・山北・關本・箱根)
※国土地理院所蔵 -
昭和後期 1984年頃(昭和59年)
国土地理院 旧版地図(小田原南部・北部・秦野・山北・關本・箱根)
※国土地理院所蔵 -
現代地図
国土地理院、オープンストリートマップ(OSM)
※国土地理院 旧版地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分1地形図を複製したものである。(承認番号 平30情複、 第680号)
小田原・暮らしの歴史
人々が暮らすという点では、小田原の歴史は古くさかのぼることができます。
小田原市内の中里遺跡は、縄文人と渡来人が共存共栄した数少ない遺跡で、他の地域と違い、点々と存在した渡来人のみの小規模の集落ではなく、縄文人と共存した大集落だったようです。縄文文化と渡来文化の境界の東端であったとも考えられ、日本の文化人類学や考古学においても貴重な地域と言えます。
以下は、明治以降の人々の暮らしの様変わりを示すトピックスを選んでみました。明治
1871(明治4)
7月に小田原県が置かれ、11月には小田原県と韮山県が合併し、足柄県になる
1875(明治8)
小田原を新玉・万年・幸・緑・十字の5町とする
1887(明治20)
新橋-国府津間に鉄道が開通
1888(明治21)
国府津-小田原-湯本間に馬車鉄道が開通
1900(明治33)
国府津-小田原-湯本間に電車が開通
1902(明治35)
小田原に大津波が襲い、海岸一帯の被害甚大
1903(明治36)
小田原に初めて電話が開通
1906(明治39)
湯本-強羅間に箱根登山電車が開通
大正
1919(大正8)
熱海線が国府津-小田原間に開通
1923(大正12)
関東大震災が起こり、被害甚大
1925(大正14)
小田原-関本間に大雄山鉄道が開通
昭和
1927(昭和2)
新宿-小田原間に小田急線が開通
1934(昭和9)
丹那トンネルが開通し東海道本線が小田原を通る
1940(昭和15)
小田原町、足柄町、大窪村、早川村、酒匂村の一部が合併し、小田原市が誕生
1945(昭和20)
太平洋戦争最後の年、空襲で新玉、万年、幸地区の一部が焼失
1947(昭和22)
戦後、小学校の給食が始まる
1951(昭和26)
小田原大火である万年大火災により、331世帯が被災
1955(昭和30)
第10回国民体育大会が神奈川県で開催され、小田原市において軟式庭球、ソフトボール競技が行われる
1958(昭和33)
市立病院第1期建設工事が完成、病院業務を開始
1960(昭和35)
小田原城天守閣再建工事が完成
1964(昭和39)
東海道新幹線小田原駅が開業
1968(昭和43)
小田原市魚市場が完成
1972(昭和47)
公設青果地方卸売市場が開場
1975(昭和50)
卸商業団地を開設
1976(昭和51)
7月に新市庁舎が荻窪に完成。市の木に「くろまつ」市の花に「うめ」を制定。
11月に小田原駅東口広場と地下街が完成
1988(昭和63)
人口が19万人を突破
平成
1990(平成2)
4月石垣山一夜城跡を歴史公園として整備
6月辻村植物公園が全面開園
10月上府中総合公園の小田原球場がオープン
1991(平成3)
関東学院大学小田原キャンパスが開校
1992(平成4)
4月本町小と城内小が統合され、三の丸小学校となる
5月「松永記念館別館」がオープン
10月「青橋」が開通
1994(平成6)
8月「かもめ図書館」が南鴨宮にオープン
11月小田原文学館オープン
1995(平成7)
北條早雲小田原入城500年
3月「生命の星・地球博物館」がオープン
3月西湘バイパス延伸工事が完成・開通
4月「小田原フラワーガーデン」がオープン
11月「井細田大橋」が開通
1996(平成8)
「川東タウンセンター・マロニエ」オープン
1997(平成9)
総合文化体育館「小田原アリーナ」がオープン
1998(平成10)
4月「銅門」、「歴史見聞館」がオープン
10月「白秋童謡館」がオープン
2000(平成12)
市制施行60周年
3月小田原駅東西自由連絡通路整備工事着手
4月「小田原こどもの森公園わんぱくらんど」オープン
4月小児深夜救急医療スタート
2009(平成21)
3月富士見大橋が開通
9月ゾウのウメ子が死亡。10月ウメ子のお別れ会を開催
Webシステム運用・著作権等
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