はじめに
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Webサイト閲覧上の留意点
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地図データのダウンロード中(Please Wait画像の表示中)は、全ての操作をお控えください。ダウンロード中の操作は、ブラウザ停止やレイアウト崩れの原因となります。また、Wi-Fi環境等が良好でない場合は地図表示等に時間を要する場合があります。不具合時は、トップページに戻り、再読み込みやキャッシュクリアを行ってアクセスしてください。
ポイントアイコンついて
地図上のポイントアイコンは、そのコンテンツ内容によって区別されています。
歴史的背景を持つ地点もしくは過去に起こった事柄、遺跡など現在についての記述や比較的新しい出来事など未来の出来事の記述や未来に完成する施設など地点が広範なものや道路・鉄道など距離のあるもの、また曖昧な地点地図の選択について
ポイントしている地図は、ポイント地点の出来事の時期やその由来になるべく近い時代地図を選択しています。また、古い地図の描かれた範囲外がポイント地点の場合は、現代地図やその他の時代地図を選択している場合があります。
Webサイト概要
主宰者:株式会社バリューリソース・デザイン/株式会社ユニバーサルデザイン総合研究所
関東大震災と小田原
このラボサイトは、今から約100年前に起こった一般に「関東大震災」と呼ばれる関東一円に大きな被害をもたらした地震被害の記録を、写真と文で構成しています。特に東京での被害が甚大でしたが、その震源は小田原沖で、西相模エリアも大きな被害に見舞われました。しかし当時の被害記録は、十分残されているとは言えません。
資料は主に「関東大震災そのとき、西相模は」松風書房/横山正明氏著(1996年発行)を引用させていただきました。また写真は、小田原デジタルアーカイブ及び小田原市立図書館所蔵並びに小田原市立郷土文化館所蔵の利用許諾をいただいています。
被害地点をプロットした地図は、国土地理院旧版地図の大正初期測量図ですが、一部、小田原駅の被害状況は、昭和中期の旧版地図にプロットしています。理由は、小田原駅が完成したのが、大正9年(1920年)なので、大正初期(大正5年)の測量では、現在の小田原駅が存在していないため、便宜的に昭和29年測量図を使いました。
大正初期の地図にプロットしたのは、
・家屋の密集具合、大型施設の有無等、現在と大きく異なる中での震災被害
・交通機関も同様大きく異なる中での震災被害
現在と街の機能、構成が大きく違う事を確かめながら、被害を考えてみていただくことです。
また約100年前と現在では、都市インフラ、情報・通信、SNSの普及等も大きく異なることから、防災への備えも改めて見直してください。
地点には、現在の広域避難所も示していますので、家族や学校で確かめてください。また、小田原市が作成する地域別の防災マップのPDFにリンクしています。
被害情報は限られていますので、読者の中に当時を知る方の情報をお持ちでしたら、ラボ主宰者までメールをください。内容は正確を期していますが、誤りがあればご指摘ください。追加、訂正を加えていきます。
地点のプロットは、周辺(内容によってはより広域のエリア)を示すもので、対応する現在地図の地点も同様です。
以下は小田原市が提供する「災害時の情報入手方法」にリンクしています。
⇒ 災害時の情報入手方法
⇒ 防災行政無線
⇒ 防災メール
⇒ テレホンサービス
⇒ J:COM「防災情報サービス」
TSUNAGARU-MAP
関東大震災と小田原
https://www.tsunagaru-map.com/odawara-shinsai/
⇒ 小田原デジタルアーカイブ
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/encycl/
トップページ画像について
1916年頃(大正5年)国土地理院 旧版地図の一部を使用 ※国土地理院所蔵
ポイントコンテンツの著作権等について
Webサイト内のテキストや画像等は、それぞれのコンテンツに注釈の無い限り、著作権等は主宰者にあります。
主宰者へのメール
Webシステムの運用を行う、株式会社バリューリソース・デザインが一旦受け取り、主宰者へ転送されます。
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マップについて
Webサイトでは、下記地図の全部または一部を使用しています。
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江戸前期 1644年頃
相模国小田原城絵図
※国立公文書館所蔵 -
江戸後期 1810年頃
大日本沿海輿地全図 第99図(著者:伊能忠敬)
※国立国会図書館所蔵 -
江戸末期 1860年頃
小田原城絵図「文久図」
※小田原城天守閣所蔵 -
明治中期 1882年頃
迅速測図
※出典: 農研機構(http://www.finds.jp) -
大正初期 1916年頃(大正5年)
国土地理院 旧版地図(小田原・國府津・秦野・山北・關本・箱根)
※国土地理院所蔵 -
昭和中期 1954年頃(昭和29年)
国土地理院 旧版地図(小田原南部・國府津・秦野・山北・關本・箱根)
※国土地理院所蔵 -
昭和後期 1984年頃(昭和59年)
国土地理院 旧版地図(小田原南部・北部・秦野・山北・關本・箱根)
※国土地理院所蔵 -
現代地図
国土地理院、オープンストリートマップ(OSM)
※国土地理院 旧版地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分1地形図を複製したものである。(承認番号 平30情複、 第680号)
江戸時代からの主な小田原の災害
1705(宝永2)
酒匂川が氾濫し、各地で堤防が決壊する。
1707(宝永4)
関東大地震により、小田原にも被害。
富士山大噴火、領内一帯も降灰による被害甚大。
1707(宝永8)
酒匂川が氾濫し、足柄平野西部へ富士山噴火の降砂が流出。
1734(享保19)
2月小田原で大火。武家118戸、町家990軒、寺社23が焼失。
8月酒匂川が氾濫し、文明堤決壊。水死者約70名。
1782(天明2)
小田原地方に大地震。被害大きく一部の村々を天領と交換
1802(享和2)
酒匂川が氾濫し、各地で堤防が決壊する。
1817(文化14)
小田原城下が大火。宿場の大半が焼失。
1853(嘉永6)
小田原地震起こり、小田原地方の被害甚大
1867(慶応)
小田原宿が大火。約600軒が焼失。
1902(明治35)
小田原に大津波が襲い、海岸一帯の被害甚大
1919(大正8)
関東大震災が起こり、被害甚大
1945(昭和20)
空襲で新玉、万年、幸地区の一部が焼失
1951(昭和26)
万年大火災により、331世帯が被災/小田原大火。
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